過去の生い立ちから自分が収入を得ていない現状に強い恐怖を感じる

今日は私の生い立ちについて話をさせてください。

私は地方都市の母子家庭で育った貧乏な家の子です。

20歳で一人暮らしを始めるまで、お風呂のある家に住んだ事がありませんでした。

 

私が生まれたのは、戦後じゃないですよ!

今37歳なので、その時代でお風呂のない家に住んでいたというのは、かなりの低所得層ということがわかるでしょう。

思春期になってからは、お風呂のない家に住んでいるという事がすごくコンプレックスで恥ずかしかったです。

 

15歳のとき大学に行かせられないと告げられた

中学生の頃の私の私の夢は、学校の先生になることでした。

でも、「お金がないから大学には行かせられない」という親の一言で先生になる夢は終わりました。

当時の私に、夢を簡単にあきらめない心の強さ、夢を実現する手段・方法を調べる力、実行力があれば、叶えられた夢かもしれませんが、10代の頃の私にはその強さはありませんでした。

 

社会人生活のスタートは築35年以上のボロボロのマンション

20歳で社会人になると同時に家を出されました。
(※出たのではなく出されたのです)

 

当時、母は甲状腺の病気で働く事が出来なくなっており生活保護を受けていました。

私が社会人になり給与取得者になると、一緒に住んでいると生活保護が打ち切られる

or

大きく減額されるということで、母としてはそういう状況になるよりも、別々に暮らす方がいいと判断したのでしょう。

 

母の知人がもっていた(持て余していた?)築35年以上のボッロボロのマンションを家賃月3万円を契約することになり、私の社会人1年目はスタートしました。

そのマンションは管理が全くされていなくて、廊下の電気も消えてるところがあったり、部屋に帰るまでのエレベーターや廊下がめちゃくちゃ怖かったです。

 

でも、唯一嬉しかったのは、家の中にお風呂があったこと。

トイレと洗面台が一緒の3点ユニットバスだったんですけどね。

それでも、お風呂のない家で育った私からすると夢のようでした。

 

社会人になってからは母にお小遣いを渡すように

初めてのお給料で、母に食事をプレゼントしました。

その後も、誕生日、母の日などには現金を渡していました。

それは、これまで育ててもらった感謝の気持ちとして・・・。

 

社会人になってからも親からお年玉を貰っているという同期がうらやましかったです。

私は母にお年玉を渡していましたから。

 

これが”普通”とは思っていませんでしたが、”変”だとも思っていませんでした。

 

転勤で東京へ。東京で知り合う人達の”普通”にカルチャーショックを受ける

田舎からいきなり東京に出てきた私はカルチャーショックの連続でした。

これまで付き合った事のない”層”の人達と接する事で、こっちの世界の”普通”はすごいなぁと衝撃を受けました。

普通に塾に行って、普通に受験して、普通に大学に行って、普通に留学して、普通にいい会社に就職して、普通に両親と一緒に暮らして、困ったときは普通に両親に頼ってサポートしてもらえる。

 

実家の経済力の差や埋められない文化資本の差。

正直、うらやましいって思いました。

 

人は人。自分は自分。

比べてもしょうがないってわかってるんですけどね。

 

でも、頼れる家族がいるってこと、私はとてもうらやましかった。

私には経済面で頼れる家族がいなかったから。

 

数年前から姉が難病になり無年金の母が姉を介護するように

私の姉は結婚していて子どもが3人いるのですが数年前から難病で寝たきりになりました。

姉の介護と3人の子どもの面倒は姉家族と同居していた母が一手に引き受けています。

ちなみに母親は無年金ですので、私の実家側の家族(母&姉)の生活は姉の夫(義理の兄)の肩にかかっています。

そんな状態ということもあって姉の夫(義理の兄)からお金の援助を頼まれたりすることもあって、その度に私は頭を悩ませていました。。。

 

母親&姉家族の生活についての責任と重圧

寝たきりの姉を介護する母親、働いてお金を稼ぐ姉の夫(義理の兄)。

限界ギリギリのところで踏ん張っている2人の頑張りによって姉の家庭はギリギリのところでバランスを取れています。

でも、母が倒れたり、姉の夫(義理の兄)が働けなくなったら、今の生活のバランスは壊れるでしょう。

縁起でもない話ですが、稼ぎ手である姉の夫が亡くなった場合、母と姉の面倒は私が見る事になるでしょう。

3人の子どもは姉の夫の兄弟夫婦の家で面倒みてもらうという話になっているようですがこれについてもわかりませんよね。

最悪の場合、無年金の母・寝たきりの姉・3人の子どもの生活についての責任が私の肩にかかってくるかもしれない。

その目に見えない重圧が苦しくもありました。

 

結婚して心から安心して暮らせるようになった

結婚して、私はやっと安心して生きられるようになりました。

私も誰かに頼ってもいいんだ。

って思える事がこんなに安心感をもたらしてくれるなんて知りませんでしたから。

 

夫を大切にして二人の暮らしを大切にしたい。

できることなら数年以内に赤ちゃんも授かれたらいいな・・・

そんな風に考えていました。

 

 

夫の2か月無断欠勤によりお金の苦労のトラウマが蘇った

いったん、姉一家のもしもの未来の事は忘れて(※楽観的に考えて)我が家の収入の事は夫に頼って不妊治療に進もうと思っていたのですが、夫の2か月無断欠勤が発覚してからは、専業主婦として不妊治療に専念する方向性に危機感を感じています。

我が家は一つの財布で夫婦一緒に家計管理得をしていました。いえ、しているつもりでした・・・。でも、数週...

 

夫は、新しい職場の人はみんないい人で仕事もやりがいがあって、年収も上がったし、ちゃんと働き続けられるから安心してほしいと私に言いました。

私は「わかった。」と口では言いましたが小さい頃からのお金がないつらさ、みじめさ、将来への恐怖心がザワザワと私の心をかき乱すのです。

 

不妊治療に進んで確証のない希望に賭けて散財していいのか?

無年金の母や寝たきりの姉を支援しなきゃいけない未来に備えてお金を蓄えなくていいのか?

まだ見ぬ我が子を授かる可能性に賭けるよりも、すでにこの世に生を受けてる姪や甥の将来の支援に備えた方がいいのでは?

と自分の中のもう一人の自分が必死で訴えてくるのです。

 

 

私は自助の精神で自分の人生を主体的に選択していきたい

この先、どんな状況になるとしても、主体的に自分で考えて自分で道を選ばないと後から振り返ったときに何でも人のせいにするような後ろ向きで暗い人生(人格)になっちゃうような気がしています。

【赤ちゃんを授かりたい】という純粋な気持ちだけでガムシャラに不妊治療に進めたらな。と思ったりもするのですが、子どもを授かるという人生の一つの側面だけしか見ずに妄信的につき進んだらきっと私は後悔する。そう確信しています。

 

私は【天は自らを助くる者を助く】という言葉が好きなんです。

 

周りの環境を含めて私の人生なんですよね。

泣き言を言ったって何も変わりません。

 

心許せる人達(家族・友人)と寄り添って生きるのはいいけれど、一方的に寄りかかって生きる事は私はしたくない。それを選んだら私の精神が死ぬのだと思っています。

 

自助の精神で自分の人生に責任を持つからこそ、自分以外の人のことも助けられるし、助けられる自分であり続けることが私の精神を安定させてくれるのだと感じています。

自分で収入を得ていない現状が私の心を不安定にさせていることは事実です。

これは私自身が乗り越えなきゃいけない心の問題です。

 

今後の働き方、生き方、不妊検査が終わった後に不妊治療をするかしないかについてはまだ決められていませんが、いったん自分の中にある気持ちを全部書き出してみました。

心の状態を整理しながら前向きに進んでいきたいと思います。

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